暇以外にないです、人が思ってることなんて

暇だなってずっと思っていて、何をやったって罵声とか嫌味しか飛んでこないし、もうわらけてくるし暇なんです。暇すぎてやることがないし、だからこそなんかやるみたいなのをずっと思っています。どんな適当な罵声が飛んでこようがもう暇なんです。なんかしないと起きる意味ないし、それに意味見出すくらい暇なんです。嫌でも精神なんか小汚くしておきづらいじゃないですか。素晴らしいと思ったってそれこっちがやってることじゃんてなるし、やっぱり暇じゃんね。暇すぎて暇すぎて、あと興味抱かすのどこなんて思っています。あまりにも暇だし、これらの日常なんなんてくらいにはなんの生活?って思いますし。家でシーンとしてればいいんですよね、人が色々しゃべりますけど。内容なんなんて思いますよね、ないですよね最初から。寝てりゃ生きて逝く意味あるんねって思っていますよ。ド暇すぎてやることなんか見出して、もう作文どころでもないんですよね。ツマンネ。

称号という方法について私なりに真剣に考えてみた

身は20代くらいまで自分の氏名がきちんと好きではありませんでした。そのため近しい同僚からでも下の氏名より苗字で呼ばれることを望んでいました。理由は断じて女房らしき氏名が嫌だったからだ。身は女房なので、だったら女房らしき氏名で良いではないかと思うパーソンもいると思いますが、当時の身はそれがなんとも嫌だったのです。
しかし氏名というのはその人の最良身近な拠り所であるという報告を聴き、身は考え直しました。ますます本当のことを言うと、その報告を訊くちょっと前から「自分の氏名を嫌がるのは、自分の暮らしにとって良くないのではないか」と何だか感じ取るようになっていたので、正しくおすすめ時点でした。
拠り所というのは大事にして当然の小物なので、氏名がその人の拠り所だというのなら堂々と誰に気兼ねすることなく大事にすることができます。かえってここを否定することは自分の非難だけにとどまらず、産んでくれた両親や、人柄というものを作ってくれたいわゆる神的位置付けまでも否定することに変わるのではないかと思ってしまいました。